コラムの執筆で思った、『記憶のクローゼット』取り出し作業の重要性。

いろは出版さんのWEBサイト『いろはブレス』にて
『わたし@ドラマ』というコンテンツのコラム?を書かせていただきました。

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テーマは
〜大切にしているけれど、改めて友達に話すのは少し恥ずかしいような、そんな大事な思い出〜

ということで、カレーライスについて書きました。

 

#11 カレーライスと私の思い出。
http://irohabless.com/my_dorama/

 

サークルのフリーペーパーで書いたコラム以来ですが

久しぶりにこういった形でことばを綴り、自分の思い出について触れて
改めてことばにする大切さ、すなわち
日常的な『記憶のクローゼット』の取り出し作業の重要性を感じました。

 

記憶の引き出しとはよく言われますが
私は記憶のクローゼットというものを信じていて

今まで生きてきた記憶というものは
自分の中なのか、この世のどこかなのか
そこにあるはずの大きなクローゼットにしまってあります。

中には一面に引き出しがあって
一つの引き出しに、一つの記憶が。

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生きてきた分だけ多くの記憶があるのですから
その数は膨大なもので

しまいっぱなしでは記憶がカビてしまったり
引き出しが錆びて開きづらくなったりするのです。

だから人は、思い出しにくくなる。

コミュニケーションにおいて、引き出しの多さがいくらあっても
取り出すことができなければ、スピードが遅ければ

本当は大切な価値観かもしれないのに
今まで得た記憶を、築いた過去を活かしきれなくなってしまいます。

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就活解禁も迫り、特に自己分析にも言えることのように
久しぶりに記憶のクローゼットを開けることになりますよね。

その時に必要になるのが
引き出しを開けて、記憶を外に出してあげたり
光を浴びせるという作業。

外に出すとは、ことばにすること。
光を浴びせるとは、思考すること。

取り出した記憶に
『なぜ』『どうして』と問いかけたり
現在の価値観に照らして考えることで

より味わい深いものになったり、新鮮な状態になるように感じています。

 

私は特に自己分析をしようと思わなくても
なんだかいつも、過去に対しても考えることが多いです。

私はけっして、引き出しが多いわけではありませんが

それを自覚するようになってから
「引き出し多いよね」と言われるようになりました。

 

この作業を日常的にできれば
自己分析もしんどいとは感じず
また自分を深めていくきっかけになると考えています。

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大切にしているけれど、改めて友達に話すのは少し恥ずかしいような
そんな大事な思い出はありますか?

誰かに見せなくてもいい、自分のためでいいから
ことばにすれば自分がもっと広がるかもしれません

 

貴重な機会をくださったいろは出版さん、りょかちちゃん、
本当にありがとうございました!

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